須磨から宝塚まで、六甲全山の尾根を一日で踏破する…それが六甲全山縦走です。神戸市では、六甲全山縦走市民の会との共催で、毎年11月に2回の「KOBE六甲全山縦走大会」を開催。山の自然や人とのふれあいを楽しみ、体力・精神力を鍛える登山イベントとして、県外からも多くの方が参加します。

「太陽と緑の道」は、神戸市内の太陽と緑の豊かな自然とふれあえるよう、神戸市によって1972(昭和47)年に設定されました。北区・西区を中心に全27コースあり、総延長は約175km。六甲山や帝釈(たいしゃく)山など、自然豊かなエリアを散策できます。

太陽と緑の道 

アイスロードは、その名のとおり、山上の池から切り出した氷を運びおろすのに使われた道。冬に張った氷を氷室(ひむろ)に保管しておき、夏になると町に運んで売っていたそうです。六甲山上にある池はほとんどが人工で、明治時代には氷をとる目的で多くの池が造られました。

アイスロード 

 アイスロードを登りきると「前ガ辻」と呼ばれる交差点に出合い、ここからドライブウェイを越えて北側へ伸びる道がシュラインロードです。「シュライン」は英語で聖堂やお宮を意味し、六甲北側の唐櫃(からと)に出るまで沿道にたくさんの野仏があるので、唐櫃道、行者道とも呼ばれます。古くは鬼神が出るなどと恐れられ、供養と道々の安全などを祈願して野仏が置かれたそうです。

 シュラインロード 

 神戸開港の決まった幕末、大名行列と外国人との衝突を避けるため、西国街道の迂回路として作られた道。石屋川から明石の大蔵谷まで、約34kmの道が徳川幕府の命で完成しましたが、すぐに明治維新となり廃道となってしまいました。大正年代からハイキングコースとして利用され、「徳川道」と呼ばれるようになりました。

 徳川道 

 「御影石」(みかげいし)の名で知られる六甲山の花崗岩は、良質な石材として利用され、城の石垣や近畿各地の石橋、鳥居などに使われたそうです。今も山麓には、御影石町や石屋川など、石にちなんだ地名が残っていて、山から石を運んだ道は「石切道」と呼ばれています。

 石切道 

 東灘区の深江から、六甲山を経て有馬へ抜ける道。行商で魚を運ぶために用いられたとされ、「魚屋道」の名前で呼ばれています。この道でいつも魚をもらっていた山犬が、魚屋をオオカミから救ったという伝説もあります。

 魚屋道 

人の手が支える登山道

 神戸市で維持補修を行っているハイキングコースは66ルート、合計約220kmに及びます。風化しやすい花崗岩の特性もあり、自然環境を守りつつ、安全に親しめる山道を保つには、様々な困難が伴います。広範な登山道の補修や手入れには、地元の登山会など山に関わる人々の協力が欠かせません。また、市から委託を受けた「グリーンパトロール」の人々が、山火事防止の普及に努めています。

  神戸市では、再度公園内にある「森林整備事務所」という専門の部署が中心となり、職員が実際に山に入って、身近で豊かな六甲山の維持に取り組んでいます。

なお、このページは、神戸市広報課及び森林整備事務所が管理していた六甲山歩(閉鎖)からデータの提供を受けております。

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